第2回 実録!内定取消

第2回 実録!内定取消

「あなたを当社社員とする事を内定致しました」
S大学に通うBくんが、第一志望であるN社からそう連絡を受けたのは、残暑が厳しい9月初旬のことでした。

N社は大手のマンションデベロッパーで、設立からわずか10年で東証一部に上場するなど業界でも注目されている優良企業です。Bくんが会社訪問を始めた年の事業者別マンション供給戸数では首都圏2位、全国でも6位の高実績。同年決算は過去最高の年商となるなどまさに飛ぶ鳥を落とす勢いの成長ぶりは、この業界に絞って就職活動をしているBくんにとっては憧れの存在でした。

そこからの内定通知です。Bくんは思わず携帯を握り締め、気がつくとガッツポーズを取っていました。送られて来た内定通知を受領し、誓約書を提出。大学の就職課への報告も済ませ、いよいよ10月1日の内定式に臨みました。内定式で、53人いる内定者の代表として辞令の交付を受けたBくん。長く辛かった就職活動がまさに実を結んだ瞬間です。

しかし、Bくんの地獄はここから始まりました。

内定式の興奮も冷めやらない11月の中旬、Bくんの元に1通の書留郵便が届きました。N社からです。冬休みには入社前研修が予定されていると内定式で聴かされていたBくんは、そのスケジュールの連絡だろうと見当をつけました。いよいよ社会人としての一歩を踏み出すのだという期待と緊張。そんな気持ちに包まれて封筒を開封したBくんの眼に飛び込んできた『内定取消』の文字…。

Bくんはそのままベッドにへたり込みました。
しばらく呆然としたあと、何とか気を取り直すとすぐにN社に電話をかけましたが、担当者の回答は、手紙に書かれた個別面談の日に説明するの一本やりで詳しい事情は分かりません。

そうして迎えた個別面談。その席上では、内定式でも紹介された人事部長から、サブプライム問題に端を発した急激な経済情勢の悪化から経営計画を大幅に見直さざるを得ず、内定も取り消さざるを得ないと説明されました。しかしこの時期に内定を取り消されてしまえば、就職活動を再開してもまず新たな就職先は見つからず、結果、1年を棒に振って来年度の新規採用に応募するしか手はありません。補償金として42万円を支払うと説明されても、1年を棒に振ることを考えればとても納得できるものでもありません。次の面談者も控えているから。人事部長はそう言って話しを切り上げ、追い出すようにBくんを送り出しました。

何も考えられないまま茫然自失の状態で地下鉄に乗り、ふらふらとワンルームのマンションに帰りついたBくん。ドアを開けたとたん、堰を切ったように涙が溢れてきました。講義の合間をぬって必死に通った学外の勉強会。眠い眼をこすりながら何度も読んだ一般常識のテキスト。暑い夏の盛りに駆けずり回った会社訪問。内定式の喜びに溢れた気持ち…。全てが水の泡に帰した瞬間でした。

何もする気になれないまま1週間を過したBくんは、そこから行動を起こしました。就職活動中に知り合い、同じN社から内定を受けていたCくんと連絡を取って、インターネットで調べた個人でも入れる労働組合に2人で加入したのです。個別でN社と話しをしても、この間と同じように追い出されるのがオチだ。そう考えての組合加入でした。労働組合が交渉を申し入れた場合、法律的に会社が拒否できないのは労働法の講義で得た知識です。

そこから、組合を通じてN社との交渉が始まりました。組合の姿勢は強硬で、それにたじろぐN社の人事部長の顔を見ると、Bくんの悔しい気持ちも多少は晴れました。やがて、補償金の額は倍以上の100万円まで跳ね上がり、既にN社に入社する意思をなくしていたBくんはこの条件を呑み、内定取消を受け入れます。

その後、N社は内定者を集めて説明会を開き、その席で社長が陳謝するとともに、全ての内定者にBくんと同額の100万円を支払うと約束しました。こうして、誰も勝者のいないBくんとN社の紛争はようやく幕を閉じたのです。

これは実際に起こった事件です。この、内定を巡る騒動はマスコミの報道するところとなり、N社の対外的信用は低下、結果、内定者を集めて行われた説明会から2ヶ月もしないうちに、N社は会社更生法の適用を申請し、実質破綻しました。

内定取消がなぜここまで会社を追い詰めるのか。
その答えは、内定取消が裁判で争われたリーディングケース、『大日本印刷事件』にあります。学生の内定取消をした企業に対し裁判所は「企業が内定を出した以上、学生の誓約書提出と相まって労働契約は成立している」とし、一旦成立した契約を一方的に破棄する内定取消は「内定を出した当時知る事が出来ないような不測の事態が生じた場合のみしか行ってはならない」と結論付けました。

N社のケースでは、内定を出した10月には既にアメリカの四大証券であるベアー・スターンズは身売り、リーマン・ブラザースは破綻しており、経済の先行き不安から不動産デベロッパーを取り巻く経営環境が急速に悪化していたのは周知の事実です。それを不測の事態というには無理があるでしょう。つまり、N社が訴えられた場合、いくら正当性を主張しても認められる可能性は相当程度低いと言えます。ですから、N社としては負ける戦いに時間をかけても無駄になるだけであり、金銭補償によって内定取消を納得してもらうしか道はなかったのです。

N社の事件はこれで一応の決着を見ましたが、額の100万円が妥当かどうかは別にして、それを53人の内定者全員に支払う事での経済的損失、騒動がマスコミ報道される事での対外的信用損失は決して小さくはなかったでしょう。内定取消を巡る騒動が、会社更生法の適用を申請せざるを得なかった事実にどの程度影響を与えたのかは分かりませんが、少なくともプラスには寄与しなかったと言えます。

企業は内定を出す以上、そこに相当の責任が発生することは重々理解しておかなければいけません。

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島村 進(しまむら すすむ)

社会保険労務士

1961年神奈川県生まれ。近畿大学法学部法律学科を卒業後、広告代理店入社。その後、経営者団体相談員を経て、平成8年、社会保険労務士試験合格。平成11年、福岡総合労務管理事務所設立。通常の社会保険等の手続き業務に加え、企業防衛のための就業規則の作成など労務管理に関する法的整備のコンサルティング、事業承継・事業再生における労務問題対応、労働者・退職者との労使紛争解決支援、訴訟対策支援など、企業における労務の「困った」の解決に力を入れている。

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