カボスを守る職人 豊後橘本舗
JR大分駅を降りて徒歩で約10分。繁華街で有名な都町の手前の中央町に、割烹「澤家」がある。純和風、全個室のたたずまい。懐かしく、落ち着く空間ではあるが、決して華美ではない。主人の人となりが感じられるこのお店こそ、色鮮やかなカボスソース「グリーンベリー」やその加工品を生み出している有限会社豊後橘本舗の本店である。
合澤康就社長は、京都の料亭で修行をして、昭和50年に割烹を開店、今も、大分の地鶏「豊のしゃも」料理でお客様を喜ばせている。
合澤氏が京都で修行をしているころ、ゆずを使った焼き物料理を見ながら、これがカボスでできないかと考えていた。カボスはそもそも大分の果実であり、大分出身の和料理の職人である同氏がそう考えるのも不自然ではない。
やがてその思いは、「カボスの甘炊き」として、当時の皇太子殿下(今上天皇陛下)へ献上し、2回目に献上した折には、「このお菓子を(前回も)頂いた」とのお言葉を頂戴した。昭和52年と56年のことである。
また、大分県カボス振興協議会のホームページによれば、大分のカボスの歴史は古く、臼杵市では江戸時代に京都から医師が苗を持ち帰ったと言い伝えがある。これを裏付ける様に、臼杵には樹齢300年を超える古木が存在していた。
この歴史と生産シェアに支えられて、大分県の農業振興には、カボスが欠かせない。大分県の農産品ブランドのポータルサイトである「Theおおいた」のイチオシ産品ページには、ねぎ、トマトとともに、カボスが1段目に紹介されている。主産地は、竹田市、臼杵市、豊後大野市、豊後高田市なのだが、大分県全域において特産品としての認識が強い。
その証拠に、大分県庁の子ども向けホームページ「キッズおおいた」のナビゲーターキャラクターは、大分県の初代イメージキャラクターでもある、カボスの「カボたん」である。

その爽やかな香りと優しい酸味は、果実そのものの鮮やかな色感とも相まって、様々な料理の引き立て役として適しているが、果汁を搾った後の皮には使い道が無く、いわゆる歩留まりが悪い。この歩留まりの悪さは、何より輸送コストに跳ね返り、地元での販売には影響は無くとも、関東・関西等の大都市圏向けの販売では価格競争力を失わせる一因となる。
合澤氏は、カボスの皮に着目していた。果汁を取った後に残るこの皮には、カボス特有の鮮やかな緑色と、微かだが爽やかな香りがある。
和料理の職人の技と伝統を元に、実に35年間の研究を重ね、1つの甘味料を作り上げた。これが、「グリーンベリー」である。その名前は、ストロベリーやブルーベリーと同じく、カボスが大分から発信されて世界へ飛び立つその時に向けて付けられたもの。
8月から9月に取れた一番色の良い、酸味の強いカボスを、数件の農家と契約して、一定のルールのもとに品質管理と共同加工を行った。試作を繰り返し、試行錯誤を重ねて開発された逸品である。
グリーンベリーを開発後、契約する農家から1年分のカボスを仕入れ、また共同で加工した商品は、社長1人の営業体制や単価面での折り合いなどから、なかなか市場が広がらなかった。
東京の展示会に出展して好評を博したため、これをテコに大手流通業や食品メーカーなどを狙う戦略だったが、最終的な販売局面まで辿り着くことは少なかった。
先行投資した工場や設備、割烹経営との両立など負担も徐々に増えつつあった。ただ農家サイドでは、限られた期間の収穫であり、契約する限りは一定量の引取りを見込む必要もあった。
そんな状況下で、修氏と敦志氏が2人で開発から販売までの一切を仕掛けた商品がある。グリーンベリースィーツ「香慕寿 凛(かぼす りん)」である。
カボスの皮の色素を使って作られたグリーンベリーでジュレを作り、さらにカボスの皮で包んだ。カボスの全てを使うことにコンセプトを置いた一本気なデザートである。2人はまず地元から愛されない限り商品は広がらないと考えて、大分のトキハ百貨店や空港、スーパーなど地元流通を中心に販路を広げ、文字通りの「地産地消」を展開してきた。
その成果なのか、地元テレビ局の取材も次々に入り、販売量が伸びている。つまり、ブレイクしているということである。筆者は合澤社長から「本当、2人の息子が頑張ってくれたおかげです。私ではとても出来なかったことです。」という言葉とともに、このことを伺った。
筆者の返した言葉は、1つだけだった。「今までの苦労が実ったわけです。」1人の職人が、店も技も経営もなげうって1つの果実を守ろうとしたこの35年の歴史が、今、花開きつつある。


合澤氏が京都で修行をしているころ、ゆずを使った焼き物料理を見ながら、これがカボスでできないかと考えていた。カボスはそもそも大分の果実であり、大分出身の和料理の職人である同氏がそう考えるのも不自然ではない。
やがてその思いは、「カボスの甘炊き」として、当時の皇太子殿下(今上天皇陛下)へ献上し、2回目に献上した折には、「このお菓子を(前回も)頂いた」とのお言葉を頂戴した。昭和52年と56年のことである。
(割烹「澤家」と合澤社長ご夫妻 街中にありながら落ち着く空間)
カボスの産地
大分県農林水産企画課の資料によれば、県内のカボス生産高は、平成19年が5,019トン、平成20年が3,764トン。これは全国の生産高の約98%を占めるという。また、大分県カボス振興協議会のホームページによれば、大分のカボスの歴史は古く、臼杵市では江戸時代に京都から医師が苗を持ち帰ったと言い伝えがある。これを裏付ける様に、臼杵には樹齢300年を超える古木が存在していた。
この歴史と生産シェアに支えられて、大分県の農業振興には、カボスが欠かせない。大分県の農産品ブランドのポータルサイトである「Theおおいた」のイチオシ産品ページには、ねぎ、トマトとともに、カボスが1段目に紹介されている。主産地は、竹田市、臼杵市、豊後大野市、豊後高田市なのだが、大分県全域において特産品としての認識が強い。
その証拠に、大分県庁の子ども向けホームページ「キッズおおいた」のナビゲーターキャラクターは、大分県の初代イメージキャラクターでもある、カボスの「カボたん」である。

(「Theおおいた」に掲載されているパンフレット そのまま絵葉書として使える)
豊後橘本舗と農業
大分県内で、日常的に愛されているこの果実にも弱点がある。それは、果汁を使うものであるということだ。その爽やかな香りと優しい酸味は、果実そのものの鮮やかな色感とも相まって、様々な料理の引き立て役として適しているが、果汁を搾った後の皮には使い道が無く、いわゆる歩留まりが悪い。この歩留まりの悪さは、何より輸送コストに跳ね返り、地元での販売には影響は無くとも、関東・関西等の大都市圏向けの販売では価格競争力を失わせる一因となる。
合澤氏は、カボスの皮に着目していた。果汁を取った後に残るこの皮には、カボス特有の鮮やかな緑色と、微かだが爽やかな香りがある。
和料理の職人の技と伝統を元に、実に35年間の研究を重ね、1つの甘味料を作り上げた。これが、「グリーンベリー」である。その名前は、ストロベリーやブルーベリーと同じく、カボスが大分から発信されて世界へ飛び立つその時に向けて付けられたもの。
8月から9月に取れた一番色の良い、酸味の強いカボスを、数件の農家と契約して、一定のルールのもとに品質管理と共同加工を行った。試作を繰り返し、試行錯誤を重ねて開発された逸品である。
(グリーンベリーのパンフレット 鮮やかな緑色)
明日へ向けて 農商工連携
今、豊後橘本舗には2人の宝がいる。開発企画課長の合澤修氏と、総務企画課長の合澤敦志氏である。2人は合澤社長の娘婿と子息である。グリーンベリーを開発後、契約する農家から1年分のカボスを仕入れ、また共同で加工した商品は、社長1人の営業体制や単価面での折り合いなどから、なかなか市場が広がらなかった。
東京の展示会に出展して好評を博したため、これをテコに大手流通業や食品メーカーなどを狙う戦略だったが、最終的な販売局面まで辿り着くことは少なかった。
先行投資した工場や設備、割烹経営との両立など負担も徐々に増えつつあった。ただ農家サイドでは、限られた期間の収穫であり、契約する限りは一定量の引取りを見込む必要もあった。
そんな状況下で、修氏と敦志氏が2人で開発から販売までの一切を仕掛けた商品がある。グリーンベリースィーツ「香慕寿 凛(かぼす りん)」である。
カボスの皮の色素を使って作られたグリーンベリーでジュレを作り、さらにカボスの皮で包んだ。カボスの全てを使うことにコンセプトを置いた一本気なデザートである。2人はまず地元から愛されない限り商品は広がらないと考えて、大分のトキハ百貨店や空港、スーパーなど地元流通を中心に販路を広げ、文字通りの「地産地消」を展開してきた。
その成果なのか、地元テレビ局の取材も次々に入り、販売量が伸びている。つまり、ブレイクしているということである。筆者は合澤社長から「本当、2人の息子が頑張ってくれたおかげです。私ではとても出来なかったことです。」という言葉とともに、このことを伺った。
筆者の返した言葉は、1つだけだった。「今までの苦労が実ったわけです。」1人の職人が、店も技も経営もなげうって1つの果実を守ろうとしたこの35年の歴史が、今、花開きつつある。


(「香慕寿 凛」 凍らせるとフローズンデザートに)















