「温故知新のビジネスモデル 三代目の第2創業、生き残る企業の条件」(2009/09/16開催)
衰退の一途をたどる呉服市場。創業70年をこえる老舗呉服問屋「東京山喜」も限界を感じていた・・・。そんな中、三代目社長として就任した中村氏。この危機的状況に直面した若きトップが、リサイクルきものショップ「たんす屋」として劇的な事業展開を行うきっかけと成ったのは「温故知新」という1つの発想だった。
本セミナーでは、『企業を受け継ぐこと』、『守るものと変えるもの判断』『新たな一歩のための壁』など、多くの経営者の方が体験する後継者の課題や、その克服について、講師の体験とともに講演します。
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こんにちは、ただいまご紹介に預かりました、東京山喜の中村と申します。本日は、福岡商工会議所様主催のセミナーにお招きいただきありがとうございます。いただいております時間が今から4時までということですので、皆様にお配りさせていただきました、1~8番まで書いたこのようなレジメがあると思いますが、概ねこれに沿ってお話いたします。
東京山喜の自己紹介ということで、先ほどご覧いただいたNHKの経済羅針盤でもありましたが、搔摘んで自己紹介いたします。私どもの祖父が、1924年大正13年に京都の室町三条というところで創業いたしました。私の祖父は喜代蔵と申します。祖父は滋賀県の長浜という所の出身で、滋賀県の長浜は浜縮緬という着物の生地の産地です。産地として有名なのは、京都の丹後縮緬が有名です。長浜は浜縮緬と申しまして、しぼが高くて高級な縮緬の産地です。私どもの祖父はそこの農家の次男坊として生まれ、長浜の縮緬問屋の京都店に丁稚に行きました。20代の後半に独立し、京都の室町三条で大正13年に創業いたしました。そこから数えますと85年の歴史になります。創業者は昭和24年に他界しておりますので、昭和29年生まれの私は、面識はございませんが、今でも家に昭和10年当時の入店のしおりというものが残っております。今日皆様のお手元にも私どもの簡単な会社案内をお配りしておりますが、この入店のしおりは、当時の会社案内に相当するもので、それを読んでおりますと、創業者がどのような思いで会社を興したのかということが偲ばれます。創業者は今にして思うと、結構なアントレプレナーで、アイディアマンだったと思います。戦前の話ですが、白生地を中心に今でいうB to Bの通販、卸通販を始めた人です。戦前の問屋ですから販路は日本全国に及ばずと書いてありますが、その先に北海道と書いてあります。日本全国に北海道はいらないのか・・・と思うのですが、北海道、樺太、朝鮮、台湾、北支、満州、ハワイ、アメリカ西海岸に及ぶと書いておあります。当然そのような遠方までのこのこと反物を売りに行く訳にはいきませんので、反物卸の通販を行っておりました。ピンク色の封筒が大量に残っていたのですが、それに言うならば縮緬の相場とItemや納期を書いて、日本中は言うに及ばず、朝鮮、台湾、北支、満州までにお送りして受注し、受注したものを代引きといって郵便局留めで送付し、代金をお送りいただければ納品できるというビジネスモデルを昭和10年くらいに作って、それが当たったようです。非常に短期間で京都の中で白生地の練売り(ねりうり)という市場でのリーディングカンパニーになっていったというストーリーがそのしおりに書いてあります。
非常に順調に商売を進めたのですが、昭和16年に太平洋戦争がはじまり、絹織物は贅沢品ですので、一旦は統制ということでやむなく商売を中断せざるを得なくなりました。いよいよ再開というときに、昭和24年に他界をしましたので、創業者は非常に無念の思いだったと思います。数えの54歳で他界したと聞いておりますが、私はもう数えの56歳になりましたので、考えてみたら既に創業者よりも2年ほど長生きをしているわけです。小さい時は「おじいちゃんは54歳で死なはったんか」という程度ですが、その歳になってみると、(その年齢で他界したのは)さぞや無念だっただろうなと思います。その創業者が亡くなって、長男である私の父、喜久蔵が2代目として跡を継ぐことになりました。父はそのころ京都におり、当時まだ戦争が終わって間もないころで、立命館大学の学生でした。祖父が亡くなるとき「お前がおるから安心や」と言って亡くなったそうです。安心やと言われても父には弟と妹がゾロッと6人いまして、一番下はまだ幼稚園に上がっておらず、本人はまだ学生でしたので「何が安心か、よう解らんけど、初代は安心やと言うて亡くなった」と言っておりました。それで私の父が2代目として商いを継いだのですが、当時まだヤミの状態ですから、かつての商売の信用を元に、反物を風呂敷に包んで学校の行き帰りに商売をしたそうです。せっかく商いをするのであれば、最大の消費地東京に行きたいと思ったそうで、結果として、1961年、昭和36年に東京で今現在の東京山喜株式会社を設立しました。ですから、会社設立は昭和36年ですから、そこから数えたら48年です。創業からは85年、設立からは48年くらいの会社だとご理解いただければと思います。
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私の父は東京に行き、いうならば東京の友禅に憧れたようです。きものには染のジャンルで、三大友禅というものがあります。あまり着物に興味のない方はどうでもよい話かもしれません。1番有名なのが京友禅、2番目に有名なのが石川県の加賀友禅といのがあり、本加賀(友禅)となるとかなり高価なものになります。3番目があまり知られていないのですが、東京友禅です。これは、本々は柳営友禅と呼ばれていたものです。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、江戸幕府のことを柳営と呼んでいました。徳川家康が東京に幕府を開き、大奥を作って沢山の女性の着物をあつらえなければならないということで、京都から友禅士を大量に連れてきて始まったのが柳営=東京手描友禅のルーツです。私どもの先代は東京手描友禅のリーディングカンパニーになろうと、沢山の東京友禅の方とお付き合いをしておりましたので、今でもお付き合いが残っています。多くの方が神楽坂や早稲田、高田馬場、中井、落合にお住いですが、これは大体神田川沿いに住んでいらして、かつては神田川で友禅流しをしていたそうです。私どもの2代目は、その東京手描友禅のメーカー卸としてリーディングカンパニーになりました。
着物業界は非常に早くそのピークを迎えました。先ほどお話しましたように、戦前に一度統制があり商売が中断し、戦後再開したのですが、昭和34年を契機にもの凄いブームになりました。これが一つのきっかけでした。何があったかご記憶されていますか?今現在の天皇陛下、当時の皇太子様と美智子様のご成婚が昭和34年だったのですが、この時に初めて民間から皇室に嫁がれるということで、正田美智子さんが嫁ぐにあたって、お着物を沢山誂えてお興しいれされたそうです。日本橋の三越本店のはす向かいにあった満ッ本という、京都から行った呉服屋さんで主に誂えたと聞いております。大変素晴らしい着物や帯を誂えて、その正田美智子さんがお着物姿で、当時ちょうどで始めた白黒テレビやいろいろな雑誌に出られて、日本中の女性を魅了したということで、この昭和34年が私ども着物業界の、いうなら着物ブームのスタートと言われております。ここから大変な急成長をし、昭和50年が着物業界のピークになりました。非常に短期間にあっという間に成長いたしまして、なんと昭和50年には2兆円産業と呼ばれるようになりました。今から35年前の2兆円です。今でも2兆円と言えばそこそこの市場規模だと思います。それが、35年前に2兆円の市場規模があったわけですから、素晴らしいバラ色の業界だったと思います。当時紳士服の市場規模が1兆円に満たない時に、着物は2兆円を越していましたので、大変な急成長で大変な高景気に湧き、特にメーカーはこの昭和30年の中盤から昭和50年に向けては、40年代を中心にガチャマンと言われるような良い時代で恩恵を受けました。

私自身、学校を出て父の会社に入ったのが昭和54年です。ここから一転して右肩下がりとなり、その後バブル崩壊そしてもう一段と、着物業界に入って31年になりますが、一度も右肩上がりになったことがありません。30年こうしてひたすら右肩下がりという業界に結果として入っております。まだ私が入った昭和54年ころは、少し下がりはしましたが、ほぼ2兆円市場と言われておりましたが、平成21年の矢野経済研究所と言うところの発表によると、かなり縮小され3210億円(平成21年推定)にまで市場が縮小しました。ピーク時の16%になりました。私が業界に入ってから一度も右肩上がりになることなく、徹底的に市場が縮まっているという状況です。
事業を受継いで・・・ということで、私が3代目の就任したのは16年前の1993年です。(図)この辺りです。要するにバブル崩壊でガクンと落ちた頃、社長に就任しました。1993年、平成5年です。ここで呉服問屋の3代目として社長に就任しました。これが正に事業を受け継いだ時です。私自身は呉服問屋の3代目ですので、やる気満々でどのようにして呉服問屋として成長しようかとこの時点では考えておりました。具体的にどうしたかと言うと、先代が東京手描き友禅を中心としたメーカー卸をやっていて、新宿などで着物を作っていたのですから、土地も高ければ人件費も高かったです。東京手描友禅は訪問着ですと1枚が70、80万円から100万円、中には150万、200万はします。バブルのころまでは何とか売れていましたが、私が社長に就任した1993年(平成5年)はバブルが崩壊した後です。(バブルが崩壊したのが平成3年です。)ですから、手描友禅の50万、100万またはそれ以上する着物はそうそう売れない状況でした。どうしようか・・・と思った時に、もっと良い着物をもっと安く売ればもっと売れるのではないかと思いました。それをするにはどうしたらよいかと考え、中国に拠点を置き中国で着物を作り始めました。かつて着物の原材料である絹は日本が一番生産しておりました。日本の外貨獲得の一番は生糸でした。「ああ野麦峠」という映画でもありました。生糸の輸出というのが外貨獲得の一番の先兵でした。今現在、94%の生糸は日本以外の中国を中心とする国です。1番は中国、2番はブラジルです。圧倒的に中国です。人件費が違います。今現在6%位の国産の生糸はありますが、特殊な糸を作っておられるところを除けば、一般の養蚕農家というのは大変厳しい環境になります。現在、生糸1㎏が大体2300円くらいです。商品相場を見たら掲載されています。2306円とかそのようなものです。昭和49年がオイルショックですが、(図)このころ生糸は1㎏が30000円まで上がりました。それが2300円です。ですから国内の養蚕農家はこれでは生活ができない状況です。
ちなみに国内の養蚕農家の労働を時給換算するといくらなるかご存知ですか?最低賃金法でいくと東京は766円です。これを1000円にまで上げるという動きがあるようですが・・・。最低賃金というのは雇用された人の時給の最低額は保障されていますが、自分で商売している人には保障されていませんので、最低賃金法は関係ないのですが、大体いくらくらいだと思われますか?養蚕農家の労働の時給は200円です。桑畑を持って蚕棚を作って、養蚕をして、言うならば繭を作って、それを乾繭にして、その乾繭を市場に出します。この乾繭までが農産物です。これを生糸にしたときに工業製品になります。この養蚕農家の労働力を、農家が乾繭を出荷して入ってきたお金を年間の労働時間で割ると時給が200円です。次世代は継ぎますか?絶対継がないです。セブンイレブンに行けば、800円、850円貰えるわけですし、夜に行けば1000円貰えるわけです。誰が桑畑をもってやるかと言う話です。余談になりましたが、当然国内でやっていても価格は抑えられません。そこで養蚕が圧倒的に強い中国に行きました。また当然労働力、加工賃も安かったです。私は1989年の3月に初めて中国で着物や帯を作り始めました。ちょうど、天安門事件の直前でした。89年の6月4日に天安門事件がおきましたので、良く覚えております。当時3月に上海から入って、江蘇州の蘇州というところで着物や帯を作り始めました。
私が3代目に就任して何をやったか。「もっと良い着物をもっと安く売ったら、もっと良い帯をもっと安く売ったらよかろう」ということで海外に行きました。確かによい着物や帯が出来るようになってきて、私が社長に就任した93年から97年まで毎年4億円ずつ売り上げを伸ばしていきました。社長就任時に21億だった年商は97年には37億4千万になりました、私ども問屋としての売上のピークをこの時に迎えました。本人は(私は)やはりこれでよかったと思っていました。当時は呉服問屋ですので、お客様の多くは百貨店の高島屋さんや西武さんやそごうさん、そしてナショナルチェーンである、きもののやまとさんや、さが美さん、東京ますいわ屋さん、そして地域に根付いた呉服専門店でざっと500件位の口座がありました。社長に就任する前に、私は京都支店長をやっており、そのころですと、福岡でしたら岩田屋さんもお得意先で、催事をさせていただいた記憶があります。そういう問屋が海外で生産するようになり、着物のメーカーや帯のメーカーまたは問屋さんをお客様として受注するようになりましたので、その分が+αの商いになり、そのお陰で私が社長に就任してから4年間で順調に売り上げを伸ばし、「これでええんやな、これで呉服問屋としてやっていけんのやな」と思ったのですが、このレジメでいくと3番目の「衰退業種の知らせはやってこない」ということにつながっていきます。
着物業界は川上がメーカー、川下が小売業、川中が問屋業になりますが、1998年頃にこの川中で日本中の呉服問屋で同時多発の「信用不安」が起きました。平たく言えば、東京・名古屋・京都の最大手の呉服問屋がバタバタと音をたてるように倒産しました。私どもは同じく問屋でありますが、従来の小売のお客さんに加えて、海外生産を始めたので言うならばその大手の問屋さんやメーカーさんも顧客としていましたので、お得意先にものすごい信用不安が立ったので、このままいくと私どもも売掛債権、受取手形等で非常に危ない(リスキー)な状態になると思い、非常に迷ったのがこの98年でした。この4年間の成長というのは、バランスシートではなく損益計算上、PS上は増収増益でした。売上も粗利益額も経常利益額も伸びた頃です。全てにおいて伸びていたのですが、バランスシート上は非常に水っぽくなりました。結局は売掛債権が増え、受取手形残が増えそして在庫が増えるという、3つの流動資産勘定がボコボコと水ぶくれして、売上を伸ばすたびにお金が足りず借金に走るという4年間でもありました。また当時の金融機関は今に比べると余裕があったのだと思います。当時は銀行がメガバンク3つぐらいとかではありませんでした。私どもは三和銀行というところが主力でした。「社長今年も売上が伸びましたね。またお金いりますね」といって毎年借金を増やしてくださいました。あの三和銀行さんも今はもう名前もなくなり、三菱東京UFJの一角になっております。当時はまだ比較的金融関係は甘かったようで、非常に水っぽい売上の伸ばし方をしましたが、金融機関はしっかりと貸し付けをしてくださいました。翌98年に着物業界の流通の同時多発信用不安で、一気に売上が20%落ちて30億になりました。私が社長に就任して以来、大きな赤字決算をするにいたったのが、5年目のこの98年でした。ここでまさに「衰退業種のお知らせはやってこない」という話になります。
きもの市場が2兆円から(図)この時点で8000億くらいになったのですが、どんどん市場が小さくなりそのしわ寄せが業界の川中の呉服問屋に集中し、多くの問屋がバタバタと倒れて、構造的な衰退業種になりました。例えば経済産業省から「呉服問屋は将来がありません、速やかに他の業種や事業に転換されてはいかがですか」といったようなお知らせはどこからもやってきません。一向にやってこないまま、同業はバタバタを倒れていきました。東京に堀留という繊維問屋街があり、そこに東京織物卸商業組合という織商があります。私が業界にはいった昭和54年当時は何と700社が入っており、3兆円の出荷額があるという問屋街でした。着物だけでなく、アパレル、テキスタイル、寝具、呉服、和装小物、繊維資材も含めて700社の繊維商社が堀留に存在して、3兆円の出荷額を誇ったというのが、私が業界に入った当時です。そこからどんどん縮まって、呉服問屋も現在堀留には50社もないと思います。いうなれば優勝劣敗ではなく、全敗状況です。東西の横綱が、市田とツカモトという一部上場の企業でしたが、市田は私的整理第一号ということで、三菱銀行から債権放棄100億くらいしてもらいました。それでも持たずに今現在ツカモトと合併しています。その市田ツカモトの合併した会社も呉服においては全く利益が出ないという状況ですから、まさに優勝劣敗ではなく全敗状況です。規模的に1番大きかった荒庄鳴河などはまさにこの同時多発信用不安の時に自己破産をいたしました。ピーク340億という東京では最大の売り上げ規模を誇った会社ですが、あの年に自己破産しました。私も当時、この時代に東京の織商の中で月曜会という懇親会があったのですが、織商の経営者の中で父の世代の経営者たちが水曜会というものをやっており、昭和の2桁から昭和28年までのメンバーが金曜会、私の世代は一番若くて、当時16社で月曜会を行っていました。ちょうどこの時期、1社目が倒産いたしました。そこから、かれこれ10年から11年経って、16社あった仲間の会社のうち、12社が経営破たんもしくは廃業していき、現在4社が商いを行っている状態です。よほどヤワな会社ばかりの集まりかと言えば決してそういうことではなく、中には99年には、1599年に創業したという田端屋さんという創業400年の名門老舗の問屋が自己破産していきました。結論として何が起きたかと言うと、優勝劣敗ではなく全敗になっていったという状況です。
レジメでいうならば、「変われないのは潰さないから」と言う話になります。そこまで需要が冷え込み、市場規模が落ちていく中、小売の市場規模というのは100に対して16ですが、メーカー段階だとだいたいその圧力は倍増されますので、100が16になったとき、メーカー規模でいくと8になります。1割、10%以下にまで落ちていきます。先般鹿児島の商工会議所に(講演で)お呼びいただいて、鹿児島の商工会議所の方に「最近の紬はいかがですか」と聞くと、「は?」と言われました。「は?」と言われてしまうのか・・・と思いました。かつて紬は奄美と鹿児島という大島紬の量産地があり、25年前は毎月奄美と鹿児島に大島紬の買い付けに行っていました。当時は奄美と鹿児島で600億の出荷額がありました。大島紬というのは当然ですが奄美大島ですから大島紬といい、なぜ鹿児島かというと昭和28年まで奄美大島はアメリカ領土でした。本土に復帰していませんでした。アメリカから日本は大島紬を輸入していました。「こんなことやっておれん」という奄美の大島紬の一部の生産業者が鹿児島に逃げてきたのです。黒潮が流れていますから、島伝いに来ると奄美から鹿児島までは渡ってこられるそうで、そんなに大した移動ではないと地元の人は話していました。そういった方々が大島を鹿児島で作り始めたのですが、残念ながら大島紬に不可欠な泥の田んぼが鹿児島にはないので、鹿児島はずっと化学染料を使用していました。今はもう泥を持ってきています。大島紬の一番の魅力は、奄美に自生している、テーチギという草木で染めたものを、泥の田んぼに漬け、泥の田んぼ含まれる鉄分で媒煎されあの独特な茶泥というものが出来ます。鹿児島の田んぼにはこの鉄分がありません。何故かというとその昔、何万年も前に島と同じ大きさと同じ隕石が落ちたからだそうです。嘘か本当か解りませんが・・・。ですから奄美の田んぼは強烈な鉄分を含んでいて、あのテーチギ染めを鉄媒煎するのがあの独特な茶泥の大島紬の風合いになります。余談でした。600億という最大の地場産業だった紬のことを先日うかがった時、「は?」といわれる状態でした。良く聞くと50億を割り込んでいるということですから、600億あったものが50億を割り込んでいるという状況です。10%でしたら60億です、現状は10%を割り込んでいますから、8%として48億、今現在ピークの8%くらいです。90%以上落ち込んだ場合、産業として成立するのは難しいです。現状はこうです。
少し矛盾を感じませんか?市場が16%だったら、なぜメーカーは8%になるのか。逆の時はその逆です。成長するときはイメージとしたら、小売の市場が100から120に増えた時、メーカーは大体2倍作らないと間に合いません。おかしいですよね。2割市場が増えるとおもったら、問屋も含めて流通が皆在庫投資します。売れる=儲かる=在庫持っておかないと損、ということになります。今年100売れて、来年120売れるということになると、問屋も小売りもガンガン仕入れます。ですからメーカーは2倍作らないと間に合いません。その時がまさにガチャマンで、ガチャンと織ったら1万円札が落ちてくるという言葉が生まれました。そのしっぺ返しが落ちる時です。落ちる時はみな在庫を軽減したがりますから、流通在庫のしわ寄せまで産地に行くので、16になれば産地は8になるということです。ここ博多も博多織の和装産地です。今日の私の角帯も博多織です。正確な数字は存じ上げませんが、ピークと比べると比較するまでもない生産規模になっているのではないかと思います。ですから結論から言うと、優勝劣敗ではなく、川中特に問屋業は全敗ということです。ここからはおそらく「作るところ」にリンクしているか、つまり企画して生産しているところにリンクしているか、消費者に手渡すところにリンクしているか以外の企業は全部なくなると思います。私自身が元々問屋の出身ですので、そのようなことを言うのは天に唾するようなものですが、しかし平たく言えば、エンドユーザーにリンクしているのか、または生産しているところにリンクしているか、それ以外の企業はいらないということになるのではないかと思います。これは着物業界に限ったことではなくあらゆる流通に通じることだと思います。今お話したように、消費者の需要が多様化したときといのは、そうならざるを得ないと思います。結論から言うと元気のよいアパレルは全てユニクロに代表されるSPAです。東京だとH&Mが元気で、Forever21が良くて、あの新宿の高島屋にユニクロが入ります。ダイエーやイオンジャスコに入るのならまだ分かりますが・・・。私どもも新宿の高島屋に出店しており、「天下の高島屋」という思いがありますが、その高島屋にユニクロが入るそうです。「え~~」という思いです。昨日ある記事を読んだのですが、ユザワヤも新宿の高島屋に入るそうです。博多にもユザワヤがありますね。ユザワヤは東京の蒲田に本社があり、先ほど少し天神の方を歩いていましたユザワヤを見つけたのですが、あそこは手芸のお店です。ちなみに、私どももユザワヤの中に5店舗出店しています。高島屋の中には12店舗出店しています。その5店舗出店しているユザワヤが、12店舗出店している高島屋の中に入ると聞いてびっくりしました。それほど百貨店も背に腹は代えられないのです。百貨店という業態自身も大きな転換を迫られているということだと思います。流通の中でも百貨店が今まで通りで勝ち抜ける、生き残れる道はないのではないかというくらい、市場は変わってきていると思います。

そのレジメでいうなら、4番から5番、「変われないのは潰さないから」そして「転機を攫む」ということになります。今申し上げた流通の川中で大変な変化が起き、私どもは売上を急激に落とし赤字に転落しました。業容が急変した時のセオリーというのは「答えはお客様に聞け」というのが1番目のセオリーだと思います。当然私どもも売上が2割以上落ち込み、「さあ、どないしよう」というときに目の前のお客様に意見を聞くことをしました。お客様というのは、小売店のご主人であったり、ナショナルチェーンの仕入れ方だったり、百貨店のバイヤーであります。その方達に「この先どの方向性でいけばよいですか?どうなっていきますかね?」と話を聞きに行きますが、残念ながら全くファジーで状況が見えません。私どもも当時社員が70~80人いる呉服問屋でしたので、この先どうするかという答えを見つけなければなりませんでした。もし着物が消費者から見放されて、日本の消費者がもう着物は着たくないというのであれば、時流対応業ですから、わが会社も祖父の時代から着物を商ってきたけれども、それを諦めることもやむを得ないかもしれないと思いました。しかしその時にそれを小売屋さんのご主人に聞くのではなくて、本来聞くべきは最終価値実現してくれるエンドユーザーしかないと思ったわけです。当時私どもが問屋業をやっているときは、100%女性物の企画生産を行っていました。今はリサイクル着物ショップ「たんす屋」を110店舗をやっていて、売上のうち6%くらいが男性物の需要です。メンズの重要が流行りだしましたが、それでも6%です。94%が女性物です。しかし当時は100%女性物の着物や帯を企画生産、卸しを行っていましたので、我々が企画生産した、又は卸した着物や帯を価値実現してくれるのは女性しかないわけですから、この女性一人一人に聞いていこうと思いまして、従来のお得意先かどうかは関係なく、私個人のネットワークで沢山の人に立て続けに聞いていきました。簡単な質問が4つでした。ちょっと答えていただいてもいいですか?難し質問はしませんから。
1.着物は好きですか (Yes)
2.着物着たいですか (Yes)
Yesが続いたので今日の話はうまくいくと予感しております。先日同じ質問をすると、Noといきなり言われ、あてる人を間違ったと思いました。立ち往生しました。24歳の若い女性だったのですが、なぜNoかというと成人式で振袖を着たのですが、式場で気を失ってそれ以来着物は着ないと誓ったというのです。これは毎年日本中で何人かこういう不幸なことがおきます。だいたい新成人というのは120万人くらいでその半分の60万人が女性で、そのうちの半分くらいが振袖を着て成人式に参加されます。同じ日に30万人位の人が振袖を着て出かけられます。自分で着つけができる人は殆どおらず、誰かに着つけてもらうわけですが、振袖を上手に着つけられる人は日本に30万人いません。要するにこの日だけ駆り出されるという人が多く、この人たちは「私が着付けたあの着物が式の最中に着崩れて、帯でも落ちたらどうしよう」と心配されるので、思いきり締めあげられます。男性は多少絞められても下腹に帯をしめているので良いのですが、女性は胸高といって、この辺(みぞうち)に絞められるものですから苦しくなって気を失う人が出てきます。これは、本当は間違っています。帯は、下は締めても上は開けないといけないのです。がばっと開けないといけません。着慣れた高齢の方はすごくて、みなここをガッと開けて、携帯や財布しまいには飴ちゃんまで入っています。ですからここは、本来はゆるゆるであるはずが、慣れない人がギュッと締めるものですから、苦しくなって気を失ってしまうわけです。ですから、本当はその彼女も着方を間違わなければ、着物を嫌いにはならなかった、もう少し言うと、こんなに(上が)開くのであれば楽だった、好きになったと言ったかもしれません。残念ながら成人式の度に日本中で数十人の「嫌い」を作っているかもしれません。幸い今お答いいただいた方は、「Yes」でした。ではあと2つお付き合いください。
3.ではこの1年以内に着物をご購入されましたか(Yes)
4.では同じこの1年で着物は着られましたか?(Yes)
今うかがいましたら、Yes, Yes, Yes, Yesというご回答でした。着物は好き、着物は着たいがこの一年に関しては着物を買い、着物を着たということになります。着物はお好きなようです。「何の機会に着物を着られましたか?記念式ですか。ありがとうございます。」
本当に全てのお客様、消費者がYes, Yes, Yes, Yesという回答でしたら、着物業界はもう一回2兆円に戻れるかもしれないのですが、実はどんどん質問していくと、Yes, Yes, No, No という、着物は好き、着物は着たい、でも購入してない、着ていない、という答えが大半です。それだけ好きで着たいと思っているのであれば買ってくださいというのが、呉服屋の願いですが、現実は買わないし、着ないというのが殆どです。なぜ買わないのかを聞くと、概ね二つのことに集約されました。先ほど伺った方は全てYesで、着物が好き、着物が着たい、着物を購入した、着物を着ているということで、これ以上聞くことは何もありませんが、Yes, Yes, No, Noの人に「ではなぜ?」と聞くと、「でもお高いんでしょう」というのと「自分一人では着れない」という2つが原因でした。そこで(当社の転機になったことですが)当社は、その「高い」を解決しようといろいろ考えました。
先程も申し上げましたように、当社は中国で着物や帯の生産を行っておりました。確かに海外(中国)で作ると安くて良いものができると解ったものの、海外で制作は工場で生産しますので同じものが沢山出来ます。同じものが沢山できるということは、それだけ多くのものを顧客に売ることはできないので、メーカーから受注することになります。帯でしたら、メーカーから受注して、同じものを大量に作る、そうしたらそのメーカーさんから西陣の買継屋さんに行って、西陣の買継屋さんから大手の問屋さんに行って、大手の問屋さんから地方の問屋さんに行って、地方の問屋さんから小売店に行って、小売店さんからお客さんに行って、消費者に渡ったころには、折角良いものを安く作った価格的メリットが何にもなくなっています。流通を通るたびのマージンで、折角安く作ったメリットが何もなくなっていることを痛感しました。もうひとつは、流通が動脈硬化を起こしているので、売っても売っても中々お金になりません。売掛金と受取手形ばかりで中々お金にならないということも痛感しました。そういう中で、この「高い」を解決するには、どうしたらよいか悩んだのがこの98年でした。この98年の暮れの12月に偶然、東京都内のブックオフという本屋さんに出会いました。博多にもありますよね。今から11年前ですから、ブックオフの名前もさほど有名ではなく、私自身知りませんでした。都内最大のブックオフの店舗に入って、なんと明るくて繁盛しているのだろうと思いました。その時に膝をポンと叩いて、「あ、高いを解決するには、着物版でブックオフをやれば、この高いを解決できる」と思ったのが98年の暮れでした。そこで、翌99年から、自らライトバンに乗って着物をご家庭まで買い取りに行き、99年の9月1日に「たんす屋」の1号店を立ち上げました。1999年の9月1日が、たんす屋1号店ができた日です。ちょうどこの2009年の9月で満10歳になったところです。
そこで、「変われないのは潰さないから」という話です。要するに、「変わろう」と思った時には、従来のものを潰さないといけません。先ほど経済の話をしました。私が社長に就任した時、「12775分の1」という日記をつけ始めたのですが、今そのノートが37冊目になります。今日は私が社長に就任してから12775分の5947日目になります。お陰さまで、37冊に及ぶノートがずっと残っていますので、いつ頃何を考えていたかいうのが、それを遡ると解ります。99年の9月1日に「たんす屋」の1号店をつくり、この1週間後、99年9月7日に、「問屋業は全てスクラップして全経営資源をすべてこれに投入する」と書いていました。自分はいつ頃このようなことを思ったのかな、と後で遡ると、私は気が早いのか、立ちあげて1週間後には80年続いた問屋業は全て辞めにして、全経営資源をこれに特化すると書いているのです。会社の皆はそのようなことは思っていなかったのでしょうが・・。
1年目に26店舗出しました。リサイクルきものショップというマーケットの1年目でリーディングカンパニーになりました。一方では問屋業をバサバサ潰して、問屋業で余った人間をこのリサイクル着物に投入していき、まさに大転換をしました。よくスクラップ&ビルドと言いますが、結局、変わろうと思った時には、問屋業を潰すということを積極的にやらないと、実は変わっていくことは難しかったと思います。今月の11日に名古屋でお店をオープンしました。同じ日に姫路の飾磨というところのイオンモールでもオープンしました。翌12日には東京吉祥寺の丸井でオープンしまして、2日間で3店舗のお店のオープンがありました。余談ですが、(内緒のエピソードをお話します) 名古屋でオープンしたお店の話ですが、名古屋の某呉服問屋さんが、当社のフランチャイズの加盟店になってオープンをされました。ところがそこの主力得意先がオープン3日目に横やりを入れてきました。「お前の所がそんなことをやるのであれば、お前の所との取引はやめだ」と言ってこられたそうです。要するに、問屋が小売をやることに対して小売屋は非常にナイーブになるわけです。結論として何をされたかというと、「あれはうちとは関係ありません。退職した個人が始めたものです」という形をとられました。私は本当に胸が痛みました。はっきり申し上げて、その小売店さんが言われることは横やりだと思います。そういうことがまだ、現実に起こっていることを、今週経験しました。
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レジメの次の項目に「きもの新市場創造」というのがあります。先程申し上げましたように、私は商品を消費者にお手渡しするか、または物を作るか、このいずれかにリンクしていない企業は、流通の中で無くなると思っています。言うならば、小売店にとっても小売りの解らない問屋は役に立たないということになります。もう少し言うならば、その問屋が企画して物を生産する側にリンクすれば、まだ存続の可能性があります。本当に間だけの問屋は存在しなくなると思います。ですから、小売屋さんにとっても本当の意味で小売を知っている問屋がサポーターとして存在する方が良いと私は思います。ですから本来ならば怒るのではなくて、しっかりと消費者の心理を掴んでそれをうち(小売屋)のサポートに活かしてくれというのが当たり前と思うのですが、横やりを入れてこられたということに、まだそういうことを言われる人がいるのだなと思いました。同時に我社はラッキーだったと思いました。我々の1号店は主力得意先の隣に出したのです。当時私どもの主力得意先は、きもののやまと、という着物業界のトップのお店です。1号店は99年の9月1日、千葉県船橋のJR東日本都市開発という駅ビルシャポーの地下1階に出しました。隣はやまとのお店です。先代(自分の父の代)から、現在の社長矢島孝敏さんの父、先代の矢島榮二さんの代から何十年もの取引があります。1番の得意先の隣に店を出すことになって、社内は全員反対しました。当然です。こっちは実績ゼロです。お得意先とは何億という商いを何十年も続けていただいています。しかし私は、「絶対自分の思いは伝わると思うから自分が矢島社長にお願いにあがる」と言いました。その時に言ったキーワードは「共生」です。きもの新市場創造という話につながってきますが、得意先の隣の店を出して、「やまとで買うより当社で買った方が良い」という商売をするのであれば、当然矢島社長はノーと言われたでしょう。私が言ったのは、「やまとの隣でうちは中古車をやろうとう思っています。客数が多くて客単価の低い中古屋があることは、新車ディーラーにとっても必ずシナジー効果、相乗効果があると思っています。私どものミッションはきものの潜在した需要の顕在化です。「高い」を解決することによって、眠っている需要を起すのが、我々が目指しているきもの新市場創造です。それは御社のビジネスと共生できると思いますから、是非お隣に店を出させてください」と言いました。即座に「おもろいし、やってくれ」と言われました。その後やまとさんは、私どものフランチャイジー加盟店を次々に自らのやまとの隣に出店をしていかれて、今現在13店舗のたんす屋を自社の隣に加盟店として出店をしてくれるようになりました。これは本当に後からとあるテレビ番組の取材の時に、「もし1号店がよその得意先の隣だったらどうだったか」という話をしたのですが、私どもの500のお得意先の中で、同じように「いいじゃないか、面白いから隣でやってくれ」と言ってくれる得意先の社長はことによると他は一人もいなかったかもしれません。それを思うと、わが身のツキというか、強運というか、ラッキーだと思います。そこから11年も経ち、隣に出した訳ではなく、ただ単に当社の加盟店になり小売に参入するというだけを持ってして、何億という取引が出来ている問屋を「なんだ!もうお前の所とは明日から商いをやらない、出入り禁止」と言われるのを聞いて、わが身はラッキーだったと思います。まだ問屋が小売に参入することに対して、小売屋さんはさようにもナイーブなのかと先週思ったところです。余談でしたが、まさにきもの新市場創造です。これは従来のお得意様に対して、競争を仕掛けるのではなく、共生していことするものです。眠った需要を起こすことによって、新市場は作れるのだということをこの10年間私どものミッションとして行ったことです。結果として110の店が出来、1年間で50万人の方が私どもの店で着物や帯を買ってくれる、そんなチェーンが生まれたという話です。
レジメの7番、物販からサービス業へという話です。今までの10年はまさに今お話したとおりです。何でもあります、どれでも安いですということをこの10年間やってきました。結果として沢山のお客様に支持される「たんす屋」が生まれました。ただ、私は次の10年は今まで通りで良いとは全く思っていません。今までのことを否定するつもりはありません。ただ今まで通りでは次の10年はいけないと思います。1番最後の世界一の着物屋を目指してという話になるのですが、私自身は次の10年は、私どもが着物市場のリーディングカンパニーになる為の10年だと思っています。その為には、間違いなく新たな戦略を加えないと今まで通りではいけないと思います。その中で、次の10年に向けて明確にしている3つの方向があります。そこで1番大事な方向性がレジメにもあります、「物販からサービス業へ」ということです。少し考えたら解ると思いますが、2兆あった市場が約3200億になりました。ピークの16%に落ちました。尚且つここから3年、5年、10年で1兆、2兆に戻るという予想ができるでしょうか。もし、3200億の市場規模がV字回復していずれ5000億になり、8000億になり、1兆になり、そしてまた2兆になると予想したとすれば、それは経営者として甘いと言われざるを得ないと思います。私は決して悲観主義者ではありませんが、市場はまだ落ちると思っています。まだ落ちます。イメージとして、どこまで落ちるか予想すると、ピークの10%まで落ちるかもしれないと思っています。と言うことは2000億まで落ちるということです。多くの業界はピークの10%まで、落ちる時は落ちるそうです。
聞いてみたら、銭湯がそうらしいです。東京で銭湯にいくと、お風呂があって富士山の絵が書いてあって、カランコロンと桶の音がする、あの銭湯が、ほぼ壊滅状態になってピークの10%まで落ちたそうです。その時に質的な変化が起きたそうです。何ができたかと言うと、「スーパー銭湯」が出来たそうです。当然ですが、従来のお風呂屋さんは400円の入浴料をなんとか450円に上げないと経営はやっていけないが、450円に上げると客は来ないのではないかと悩み、料金を上げるのに躊躇している中、1500円のスーパー銭湯にはお客がどんどん入っていく。そこには広い駐車場があり、ベンツやBMWが止まっている。BMWに乗ってくる人の家に風呂がない訳がないです。要するに、同じ風呂ですが異質なものが流行るということです。もっと象徴的なものが映画産業かもしれません。映画は落ちに落ちました。場末の悪臭がする映画館は全滅に追いやられ、気がついてみると近くには、シネコンがあり、たとえば新宿の丸井のシネコンもそうですが、30(スクリーン)くらいの映画が上映されています。ああいうものが流行るのです。若い子が次々と観に行くのですが、トイレの匂いがする場末の映画館は全滅していきます。そういう質的な変化が起きるのですが、それに至るまでにはピークの10%まで落ちることがあり得るということです。消えてなくなるか・・・という議論もあるかもしれませんが、多くの人と話をしている限り、消えてなくなることは少ないだろうと思います。何故かというと、「着物は好きですか、着物を着たいですか。」ということを女性に聞くとだいた90%の方が「着物は好きで、着物は着たい」と言っているからです。90%の人が、着物が好きで着物が着たいと言っているのに、この業界が消えてなくなるということはあり得ないと私は思います。
ますます着物を着る機会が増えています。増えているのに、京都の室町に行っても西陣に行ってもその風はそよりとも吹いてこないのです。何故か。それは多くのユーザーは呉服屋が嫌いだからです。着物は好きだけど呉服屋は嫌いなのです。なぜかというと、顔を見るたびに「次はこの着物どう?次はこの帯どうなの?次は・・これ買って、あれ買って」と、もうお腹いっぱいだと言っているのに、また次の帯や次の着物を出してきて、行ったら最後、買うまで返してもらえない。だから呉服屋が嫌われるわけです。そこで、私が考えているのが、次の10年我々が目指しているのは、きものライフソリューションカンパニーという名の下のサービス業に変わっていこうと思っています。横文字で恐縮ですが、ソリューション(solution)というのは解決と言う意味です。解決会社です。着物ある生活にまつわる一切の問題を解決する会社に、次の10年間でなっていこうと思っています。ですから着物のマーケットが2兆円から3200億、3200億から最悪のケース10%になって2000億になったとしても、当社は全く困ることはありませんと私は言っています。何故か。私どもは「着物ライフソリューションカンパニー」という名の下のサービス業を目指すからです。では具体的に何をするのかと言うと、6つの方向で着物のある生活をサポートしていこうとしています。
ではその6つの方向とは何かというと、1つ目は当たり前ですが物販です。
とても良い品質でお値打ちの着物があり、更にこちらの帯はもっと良いものですと言える、良い着物や帯をリーズナブルに販売する物販です。これまで呉服屋さんも我々も行ってきました。この着物ライフソリューションカンパニーの6つの方向性のうち、1番の物販以外は全てサービス業です。ではそのサービス業とは何かというと、2番目がたんす屋を立ち上げて以来ずっと行っている買い取り業です。もしお召になられなくなった着物があったら買います。ですから普通の呉服屋さんは買ってはくれませんが、当社は「売り」ますし、「買い」ます。そして3番目(今どんどん増やしているの)が、「貸し」ます。レンタルです。

今現在の消費者は所有価値というものをあまり認めていない、もしくは重きを置かなくなりました。かつては持つことが一番の価値でした。今は、「持つ」ではなく「使用価値」もしくは「体験価値」の方に重きを置くような気がします。来年当社は浴衣を徹底してレンタルしようと思っています。今までやっていませんでした。浴衣のレンタルです。着つけ付き、3990円(3800円+消費税)で浴衣のレンタルをしようと思っています。いかがですかこの値段。安いですよね。リサイクル屋ですが、全品新品を貸そうと思っています。貸すものには絶対古着を貸さないようにします。レンタルは全部新品で、浴衣と帯と下駄を貸します。何故かというと、先月8月に体験したことがきっかけです。私の知り合いが鎌倉であるアーティストのコンサートをお寺の境内で行うというのです。そのアーティストの名前は横文字で覚えられなかったのですが・・・。若い子に人気のアーティストで、300人集まるコンサートを鎌倉でやるとき、8月なのでそのコンサートのドレスコードを浴衣にしたそうです。浴衣でないと入れない、浴衣がドレスコードのコンサートにしました。300人です。ところが、申し込みは多く集まったのですが、浴衣を持っていないからどうしようという人が結構いるので、私に手伝ってくれないかという相談を受けました。どうするの?と聞くと、「貸してしてあげて欲しい」ということでした。その時、私はいろいろ考えて、5250円で着つけ付きで貸そうと思いました。そのコンサートは浴衣がドレスコードで持っていない人は、5250円出せば、浴衣のレンタル+会場で着つけも行う、ということにしました。ざっと60人位集まりました。今の若い人はほとんど浴衣を持っているのですが、この60人は持っていないということで、浴衣のレンタルをすることになりました。70セットのゆかたと当社のスタッフ4人をお寺に送り、着つけました。2時間くらいの間に63人が70セットから浴衣を選んで借りていきました。少しイメージしてほしいのですが、8月の浴衣というのは当社にとっては晩期です。ここから持ち越したら、1年先まで持たねばならない在庫です。ですから、私は、正直言ってこれは戻してもらわなくてもいい、そのままあげてしまおうと思ったのですが、敢えてレンタルしました。レンタルにしたら何が起きたかというと、70セットしかないところに、63人が来るので、「あなたはこれ、そっちのあなたはこれ」と配給のようになりました。そしてコンサートの終わりにで、「今日レンタルした人は返さなくてもいい」と伝えるとお客さんは大喜びしました。ところがもしこれを5250円で販売したとすると、我々の経験から言えば、63人に70セットを5250円では売れません。「こんな柄はいや」「これはいや」などと言い始めます。値段の高い、安いではありません。買うときは1800円の浴衣でも消費者は真剣に選びます。本当です。しかし「貸す」と言えばあっという間に終わり、なおかつ「返さなくていいよ」と言ったら、大喜びなのです。そのギャップを見たときに、来年はバンバンレンタルしようと思いました。我々はあくまでもリサイクル屋ですから、帰ってきた着物は洗濯して今度はリサイクルでうんと安く売ろうと思っています。うんと安く売ることと、新品を貸す方が、今のユーザーには合っていると思いました。1回か2回しか着ないものを、無理に買って、家で手入れしてしまってしまうよりは、ことによると、安く貸した方が今のユーザーには合っていると思います。もっと言えば、リサイクル品をうんと安く売れば、これもすぐ売れるというのも体感的に知っています。ということは、貸して、売ると、高い価値(Value)が戻ってくると思いましたので来年からは浴衣をバンバン貸そうと思います。恐らくこれから「貸します」という価値が増えてくると思います。
昨年の今頃、ユニクロの柳井さんとある会合でご一緒になりました。昨年ユニクロは浴衣を10万セット売りました。すごいですよね。ユニクロは3800+消費税で、浴衣と帯と下駄がセットで売っています。3800円のセットを10万セット売ったということを私は知っていましたので、柳井さんに「すごいですね。ユニクロは浴衣を10万セット売ったのですね」と言うと、柳井さんは「中村さん、浴衣は売れないものだね」とおっしゃるのです。聞いた話ですが、ユニクロは今年いっぱいで浴衣から完全撤退を決定したそうです。売れないから。考えてみると、3800円の商品を10万着売っても3億8千万です。ユニクロの商いから言えば、3億8千万は知れた金額で、浴衣に投入した在庫数、消化率からいうと、全然合わなかったのだと思います。結論は何かというと、どんなに安くても、着物も浴衣も接客しないと売れないということです。ユニクロに接客ということはありません。私どもの会社に、先日、大学4年生がインターンシップに来ました。2つの店舗で研修し、研修が終わって当社の採用試験を受けるのですが、そのインターンシップに来た学生に、「何か販売の経験はありますか」とインタビューしました。そうするとその子は「今現在ユニクロの掛川店でアルバイトしています」と言いました。私は「お店に何人いるの?」と聞くと、「63人です」と答えました。たんす屋は4~5人です。びっくりしました。63人いて何をしているのか聞くと、一番の仕事はたたみだそうです。お客さんがひっくり返したものを次から次にたたんでいくのが一番の仕事量で、その次が品出し、発注、レジ業務と沢山あるのですが、接客というものが存在していないのです。お客さんに何かを聞かれるまでは接客しないのです。確かにユニクロに行くと、「お客さん、良いフリースがはいりましたよ、ヒートテックいかがですか?」という接客はありません。ないですよね。ユニクロのルーティンの仕事の中に、接客というワードはありません。「ヒートテックはどこですか?」と聞かれたら、「あちらにあります」と言って指してあげるだけなのです。後はご自分で勝手に行って買ってくださいということです。これでは浴衣は売れないということが解りました。ご存じのように、浴衣であっても着物はおはしょりを取って着るようになっています。恐らく知らない人は試着して「こんなに長いものをどうやって着るのか?・・」と思っていらっしゃると思いますし、ユニクロのスタッフに聞いても「いや~だいぶ長いですね」という返事しかないかもしれません。笑い話ですが、本当にそう思います。結論からいくと、ユニクロは今年いっぱいで浴衣から撤退するという話でした。余談でしたが・・・。
ことによると、売るというよりも、貸すという発想の方が喜ぶお客様が増えてくるかもしれないということです。これが3つ目です。では4つ目は何かというと、これが実は一番大事だと考えているものです。「売ります、買います、貸します」となったら後は何があると思いますか?今日お配りしている、このようなフライヤーがあると思います。そこには「たんす屋は100円であなたのたんすになります」とあります。4つ目は、「お預かりします」です。このサービスを我々は「安心たんすサービス」と呼んでいます。100円でたんす屋はあなたのたんすになります、というのが「お預かりします」です。これは持っていることが苦痛の人がいるからです。「年に2回の虫干しをされていますでしょうか?」とここに書いていますが、これは厭味な質問ですね。なぜこう書いているかというと、私どもは年間2万5千件のご家庭から、50万点の着物や帯を買い取った結果、解ったことは、今の日本のご家庭で年に2回の虫干しはされているところは少ないということです。高温多湿の日本において、何年も虫干ししなかったらどうなるか。カビてダニがわきます。買い取ってきたら、カビている着物がたくさんあります。もっと言うならば、買い取ったものを整理している最中に体が痒くなることがしょっちゅうあります。ダニが食っているのです。こうなるのです。ただ、今現在日本のご家庭99%では、虫干しをしていません。それを知った上で、この「年に2回の虫干しをされていますか?」と書いたのです。厭味ですね。「あら、私していない・・・」と精神的な負い目が生まれるのですね。そこで、安心たんすサービスは、100円でお客様のお着物をお預かりします、というビジネスです。
これまで申し上げたように、次の10年でたんす屋はきもの市場のリーディングカンパニーになる為に、我々は3つの戦略を立てました。そのうちの1番目が、きものライフソリューションカンパニーという名前のサービス業になるということです。具体的に着物ライフソリューションカンパニーは何かというと、6つの方向でお客様の着物のある生活をサポートすることです。ではその6つの方向が何かというと、「売ります」「買います」「貸します」「お預かりします」、(あと2つあります)そして5番目が「お手入れします」です。これはしみ抜きや丸洗いといった形でお手入れすることです。そして6番目が「教えします」です。

これは先ほど言いました、「着つけができない」という問題に対して、我々は簡単に着ることができる方法をお教えしましょうということです。着られない問題の解決の方法は、大きく言うと3つあります。着られないのであれば、1番目=お教えしましょう、2番目=お着せしましょうということです。美容室でやってくれるように、たんす屋に来ていただければ、浴衣なら500円で着つけしますし、ご購入いただけたら1回は無料で着つけます。フォーマルのものでも3000円で着つけています。では3番目は何かというと、教えなくても着られるような着物を作りましょうということです。今私は、「平成小袖」というものを扱っています。彦根屏風に元禄小袖という小袖の絵が出てくるのですが、小袖というのは本来インナーでした。下に着るものです。その上から、お引きずりを着るのですが、外に出る時に引きずってはいけないので、おはしょりをとって下帯をして、上から丸帯をしたのが今の着物スタイルの原点です。留袖や振袖はおはしょりをとって着るのは当たり前なのです。それはルーツがあるのです。お引きずりしているものを、はしょって下帯して、上から丸帯したから、振袖に丸帯する、留袖に袋帯するのは解るのです。しかしおかしいのは、浴衣までおはしょりをとって着るのはなぜでしょうか。浴衣のルーツは湯帷子で、湯帷子というのは、江戸時代に蒸し風呂のような所に入っていく時に着たものです。当然湯帷子というくらいですから、麻で出来た対丈の着物です。昔浴衣を引きずって着ていたわけはなく、対丈で着ていたのです。おかしいですよね。小袖もインナーでしたので、対丈でした。彦根屏風を見ると、対丈に細帯なのです。対丈というのは、要するに男性用の着物が対丈です。着たままです。彦根屏風を見たら解りますが、細帯で前結びです。対丈で着物を着て、細帯で前結びをしたら着つけを習う必要ありますか?全くないですよね。女性の方で、お着物を一人で着られる方いらっしゃいますか?「なんとかですか?」女性が少ないので質問が集中してすみません。浴衣着られますよね?浴衣でもおはしょりを取るという作業がありますよね。おはしょりをとるというのは、中々の作業ですよね。ですから、着物を着られるかどうかのポイントは2つです。きれいに上前を合わせて、おはしょりを取ることができるか。これが一つめ。お太鼓を結べますか。これが二つ目です。だいたいこれが着物が着られる人と着られない人の分かれ目なのです。そうですよね?女性の場合は対丈ではありませんので、おはしょりをきれいに取って上前を合わす、もうひとつはお太鼓を作る。でも小袖はいらないのです。対丈で着て、細帯をして前結びをすればよいのです。これが小袖です。私は今現在平成小袖というものを扱っています。これはわざわざ開発しているのではなくて、当社が買い取ってくる着物、小紋や紬の多くは昭和30年代の中・後半ですから、今から言うとざっと(1960年としても)40数年前に、40歳~50歳の方がお買いになったお品ですから、ご存命でも90歳から100歳の方が作ったお着物です。それを当社は大量に持っています。何が起きているかというと、当時の女性と今の女性の身長差は10cm以上あり、今の女性のまともにこれを売ろうと思っても、おはしょりは取れないということです。ですから私は、平成小袖と名を打って、リサイクルの着物をついたけでそのまま着て良いというふうにして、流行させようとしています。それも半幅でもよいし、細帯でもよいし、兵児帯でもよいとしています。今、レースの兵児帯を浴衣だけではなくて常でも使うように勧めています。レースの兵児帯か半幅か細帯だったら、習わなくても直ぐに結べます。着ることができない問題の3番目の解決は、教わらなくても着られるような簡単なスタイリングを提案するという方法です。私は「どれか」ではなくて、出来ることは全てやろうと思っています。教える、やりましょう。着つけ、やりましょう。教わらなくてもできる、やりましょう。極端に言えば、昨日アメリカから留学してきた女性が一発で着られるようなスタイリングを提案すれば着られない問題は解決します。そのように思っています。これが6つの方向で着物のある生活、着物ライフに纏わる一切の面倒を解決しようとする話です。
この6つの方向で商いをしようとする限り、着物の市場自体が落ちて行っても、自分は何の心配もないと思います。着物が好き。着物が着たいと思う人がいる限り、私どものはきものライフソリューションカンパニーというサービス業になっていくと思えば、着物市場が落ちていくことは何も怖くありません。もっと言えば、「売りたい、売りたい」と思っているお店からは、お客さんは逃げていきます。当社は結果として売れればよい。しかしそれ以外の方向でお客様に着物のある生活をサポートしますと言うことを全面に出したいと思っています。その中でも一番中核になるサービスは安心たんすサービスだと思っています。これはちょうど始めたばかりのもので、皆様のお手元にも資料をお配りしております。私は、このサービスの凄さは次のように思っています。先ほどNHKの経済羅針盤の中でも言いましたが「日本のご家庭の中には40兆円の着物や帯が埋蔵されている」と言いました。NHKのアナウンサーは「えーっ!」と言っていました。日経新聞でも同じ事を書きました。あちこちで言っています。沢山の人は「本当に40兆円あるのか?」と疑義を唱えています。そういう風に思われるのであれば、現場に行って確認作業をしてください、と思うのですが、今だに誰も確認作業に行かず、今現在40兆という数字が一人歩きしています。

しかし、これはハッタリで40兆と言っているのではありません。戦後だけでも着物業界が(ピーク期は二兆円)たんすの中に収めた着物は、累計で56兆円あります。これは実数です。この56兆の中で、絹の着物は捨てません。日本人のDNAの中に絹の着物は捨てたらいけないというのが刷り込まれています。お米を捨てたらいけないのと同じように、絹の着物は捨てたらいけないというのが、日本人のDNAに刷り込まれていますから、絹の着物は捨てません。ウールは捨てます。綿の浴衣は捨てるか最後はおむつになります。しかし、絹の着物は捨てません。56兆円の中で、恐らく45兆円くらいが絹の着物や帯だと私は推測します。なぜかというと、ウールや綿の浴衣は安いです。昭和50年に絹は1kg3万円したのですから、圧倒的に高いです。その高い絹の着物が45兆円の中で9割は残っているというのが私の推定で40兆円の根拠です。この40兆という数字があまりにも大きいので、皆様方想像ができないのかもしれません。国家予算が80兆円の中、40兆というのはどのような数字か解らないので、よく次のような話をします。着物と帯で10万円のセットというものがどういうものか想像できますよね。そんな安いものは持っていらっしゃらないかもしれません。着物と帯で10万円のセットが4億セットたんすの中に眠っていると想像したら、これが40兆です。すごいですよね。今日鳩山内閣が成立しましたか?そうですよね?もし鳩山新内閣が、来年からお正月3が日は毎日違う着物を着なければならないという新たな閣議決定をしたら、(あり得ないですけどね。私が首相になったらやりますが・・・)、仮に民主党が正月三が日は着物でかつ毎日違うものを着なければならないと決めたとしたら、日本には今1億3千万人いるので、1億3千×3日で3億9千セット必要になります。大丈夫です。日本には4億セットありますから。ただし、男性物が5%くらいですから、ほとんどの男の人は女性の着物を着るしかありません。実は私は冬場女性の着物をよく着ます。女性物を着て他人には解らないのかという質問を受けますが、上から羽織を着て、下に袴をつけると全く分かりません。着物のプロが見て気がつきません。ここしか見えませんから。男性の着物より、女性の着物の方が、色柄が豊富で面白いので私は女性の着物を全くいじらず、身八ッ口の開いたまま着ています。ただし、上は羽織、下は袴を着けています。誰も気がつきません。面白い着物きている、変わった着物着ているという評価を受けます。
余談でしたが、たんすの中にどれだけの着物が眠っているかイメージしてもらう為に話しました。40兆円眠っています。10万の着物と帯のセットで4億セット眠っています。私はこれを使って新しい着物市場を作ると同時にこのお預かりのビジネスをやりたいと思っています。今既にやり出しています。それが安心たんすサービスで、それが何かといえば、100円で皆さんのご家庭に眠っているお着物や帯を預かるサービスです。それを行うとどういうことが起きるかといえば次のようなことになります。今私はいろいろなご家庭に訪問しています。いろいろなご家庭からリクエストを受けて訪問しています。どういうリクエストかというと、だいたい一つのご家庭に着物と帯で100点あり、それが箪笥の中に入りきれなくて溢れています。ご家庭の奥様は困っていらっしゃいます。いろいろな困り方があって、収納に困る、お手入れに困る、そしていつかカビるのではないか、虫食いが起きるのではないかと心配されています。そういう方に、着物を買ってと言っても買えないのです。精神的に。そこで我々が行き、着物で溢れている箪笥一竿の前で、お客様に「これからABC分析をするのでお付き合いしてください」と申します。何かというと、しょっちゅう着るからお手元に置いておきたい着物はA、どう考えても未来永劫着る機会はないと思うものはB、とても大切だけれども滅多に着ないので大切に保管してほしいものをC、と分けていきます。お客様に「この小紋はどうしますか?」と聞くと「これはしょっちゅう着るわ」とおっしゃるので、「ではこれはAですね、ではこれは?」「これは母からもらった着物ですがこの柄どう考えても着るとは思えない」「それではこれは私どもで査定します。Bに置きます。ではこの留袖は?」「これは娘の結婚式で着ようと思っていますが、いつ結婚するのか・・・」「いつ着るかあてがないとしたら、これは私どもでお預かりします。Cですね」とやっていきました。分析をやった結果、ABC分析には3:4:3の法則があることが解りました。3:4:3です。30%が頻繁に着るから手物に置いておきたい30。どう考えても未来永劫着る機会がないと思われるのが4割。なぜかというと、着物の多くがお母様から貰ったものであったり、ご主人のお母様からもらったものであったりと、もらったものが結構あります。もらったものの殆どは、良く考えると自分が着る可能性ないものです。ですから4割がBです。そして最後の3割が式服です。フォーマルです。振袖、留袖、色留袖、重たい訪問着などです。これは晴れの席にしか着ないもので、晴れの日などしょっちゅうやってきません。だいたい来る日も来る日も褻(け)ですから。そうでよね。人間3万日生きるのですが、100年生きて36500日ですから、3万日生きる中で、晴れの日は何日くるかです。滅多に来ませんよね。恐らく一生のうち100日もきませんよね。結婚式は晴れの日ですが、「私はバツ5だから、晴れの日が5回来た」という人もいるかもしれませんが、普通はそんなに来ません。でも大切なきものです。だけれども年に2回の虫干しをしていない。それでは当社が預かりしましょう、ということになります。そこで何をするかというと、Aの商品をもう一回箪笥の中にしまい直すと、箪笥の中はスカスカになります。5段くらい隙間があきます。そこから、Bの商品を査定します。40点で(仮に)4万円とします。今当社は、買い取り倍つけキャンペーンというものを行っています。何かというと、40点で福沢諭吉先生4人と言うと4万ですが、それに代わってたんす屋のお買い物券だったら8万円分を渡すというサービスです。このCのお預かりのサービスもこの買い物券を利用出来ますので、4万円の査定を倍にして8万円のお買い物券を渡す。そして残るこの30点は当社でお預かりする。お預かりしたものは、1点100円ですが、12か月分(1年分)先貰いしますから、1200円に消費税がついて1260円になります。1260円×30点だとすると37800円です。これだけの預かり賃をいただくことになります。査定で4万円で、その査定分だけだとしても現金でおつりがきます。ただし、預かるにあたっては、ここにも書いてあります通り、何年もたんすの中に眠っている商品は基本的には丸洗いして殺菌、抗菌、消臭加工してからでないと預かりません。既にカビが生えているものをいくら良い環境で預かってもカビが増えるだけです。既にダニがついているものを良い環境で預かってもダニが繁殖するだけです。一旦は、丸洗いして殺菌抗菌消臭加工します。これが1枚3150円ですから、30枚あればそれだけで94500円になります。預かり賃をいれると132,300円になります。ただし、4万円で査定して8万円のお買い物券があれば、52,300円を現金で、80000円をお買い物券でお支払いいただけます。そうすると何が起きるかというと、100枚あって着物が溢れていた箪笥は、30点ですっきりします。引き出し4つ分くらい空きます。当社は現金52,300円もらって、40点分の買い取りをして、30点分のお預かりをすることになります。預かったものは全部デジカメで写真を撮り、マイたんすシステムといってお客様がご自宅のパソコンで自分のたんすを見られることになります。お客様はバーチャルに管理をし、当社がリアルに最適な温度と湿度で預かり管理するということです。安心たんすサービスです。もうカビることはありません。もうダニがつくこともありません。もしお客さまがその着物を着るということになれば、すっとお届します。着られた後もスッと戻していただいたら、当社がお手入れします。戻ってきた留袖に少しファンデーションが付いていたり、上前に食べこぼしのシミがあれば、両方綺麗に取らせていただきます。3150円かかります。お客さが「やってください。」とおっしゃれば、きれいに落として、またしまっておくことになります。安心ですよね。こうなります。そのことによって私どもにも大きなメリットが3つ生まれます。
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一つめは、たんすの中に隙間ができるということです。隙間ができるということはたんすの中に真空状態が生まれ、これが新たな購買意欲を掻き立てます。良い小紋をみて、家のたんすに隙間があれば買いたくなります。良いものを見たら買いたくなります。今まではたんすが溢れていたので、良いものを見ても買う気が起こらなかった。家のたんすが空いていれば買ってくださいます。購買意欲を刺激してくれるということが、安心たんすサービスを行う1番目のメリットです。二つ目は、30点の着物や帯を預かれば、この客様とは切れません。そうですよね。人質を預かっているようなものです。こちらは大事なお得意先だと思っていても、お得意先から見れば何とも思っていなくて、気がついたらうんともすんとも来られず切れていくお客様が多い中、30点の品物を扱ったら切れません。ということは、囲い込みができるということです。もうひとつ凄いことは、お預かり期間の1年が経ち、「来年もお預かりさせていただけますか」と聞くとそのつど37,800円という預かり賃が入ってきます。37,800円という売り上げは大きいです。37,800円が先もらいでサービスを提供する前に、1年に1回入ってきます。三つ目、これが一番大きいと思いますが、大切な着用シーンに立ち会えるということです。具体的に言うと、「あの留袖を送ってくれ」という連絡が入り「いかがされましたか?」と伺うと「あの娘がいよいよ、嫁つぎます」と言われました。この、「あのお嬢さんが嫁つぐ」というシーンに立ち会えるということが我々にとってはとても大切なことなのです。「あの江戸解文様の留袖ですね。帯はどうされますか?」と聞くと「帯はもうだいぶ派手だし・・・・」とおっしゃれば、こちらは柄は解っているのですから、「留袖にぴったりのお引箔の正倉院文様のよい帯が52500円でありますからお店までお越しいただけますか」と言うことが出来ます。大切な着用シーンに立ち会えるということは、新たなビジネスチャンスが生まれるということです。ポーカーで言えば、相手の札を見ながらポーカーをしているようなものです。相手の札が全部わかっているのですから、優位です。こういう大きな3つのメリットがあるので、私どもは、この、「お預かりします」安心たんすサービスを今後最も大事なサービスだと思っています。
そして今私は、110店舗一軒一軒に「ここから10年後に、1000人のお客様から着物をお預かり出来る店になってくれ」と言っています。皆「え? 1000人も?」と言います。良く考えると、10年で1000人ということは、毎年100人ということです。1か月10人ずつから預かってみて、10人×12か月=120人です。この20人がドロップアウトして更新しなくても、10年経てば1000人になります。3日に1人、毎日熱心にお客さまにアピールすれば、月10人は難しくないです。また、このサービスがお客さまに喜んでいただければ、口コミで広がります。私が何を言いたいかというと、一つの店が10年後1000人のお客様から10枚ずつお着物を預かれる店になれば、10000枚預かることになります。10000枚預かれば、わずか100円の預かり賃だけれども、1か月に100万円の預かり賃がコンスタントに上がってくる店になります。年間120万円です。120万円先もらい出来る店になります。この店の採算分岐は圧倒的に良くなります。ちなみに当社の安心たんすサービスの粗利益を借りに50%と仮定すると、100万円の預かり賃で50万円の粗利益が上がってきます。50万円の家賃で商いを行っている店であれば、この店は家賃はタダで試合ができるのと同じです。すごいですよね。尚且つこの1000人のお客様のたんすの中に真空状態が生まれて、購買意欲を刺激して囲い込みが出来、1000人の方の大切な着用シーンに立ち会うことが出来ます。今まで以上に着物の売れ具合が落ちて行って、2兆円が3200億、3200億が2000億になっても、私は絶対怖くないと思っています。まさに、売ること=1番目だけで試合をしているから大変なのです。6つの方向で、ひとりでも多くの方の着物のある生活をサポートしていくと考えた時に、ビジネスチャンスは無限に広がります。一番大事だと思っているのが「お預かりします」です。
私が10年前にたんす屋という名前を付けたとき、「なぜたんす屋という変な名前をつけたのか・・」と聞かれました。当然たんすの中に素晴らしい着物や帯が眠っている、たんすの中に宝があると思ったからその名前を付けたのは紛れもないことですが、私どものサービスの究極は、お客様のたんすになってしまうことだと思っています。しかし10年前は、まだ時期ではないと思いました。いよいよ10年が経ち、当社はこのビジネスを次の柱にすると考えました。まさに6つの方向できものある生活をサポートしていく、きものライフソリューションカンパニーが我々が目指す方向となります。ちなみに、少しこの話を拡大して、(10年後はまた変わっていると思いますが)仮に100店舗を想像すると、1年間で1200万円のお預かり賃が100店舗あったらどうなるかというと、なんと12億円のお預かり賃を年間いただけることになります。このサービスの凄いところは、サービスを提供する前に、1年分先に貰うということですから、10000点を100店舗で預かったら、100万点のお着物をお預かりすることになります。この100万点のお着物をお預かりするというサービスを提供する前に現金で12億円をもらいます。すごいですよね。先に12億円をもらってから100万点の着物や帯を預かるという作業に入るわけです。
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今現在十日町に業務提携先があって、2000坪のスペースで預かる準備をして、既に預かり始めております。最初東京都下、八王子でやろうと考えたのですが、八王子の提携先に土地価格を聞くと坪35万でした。東京都心ではなく、八王子ですから坪35万でした。その次に並行して十日町で初めて、坪単価を聞くと、坪3万5千円と言われました。将来広がったときのことを考え、十日町でないと無理だと思い現在は十日町で管理しています。12億円の先銭をもらって100万点の着物や帯を預かるビジネスを10年後出来るようにしていこうと考えており、これがひとりでも多くの方のきものある生活を応援出来ることだと思っています。考えてみると4億セットというと、着物で4億点あることになります。4億点の内、100万点預かることは、とてもわずかなことではないでしょうか。今現在、きものマーケット3200億で、その中でリサイクル着物市場が350億です。私どもはチェーン総売上が45億あります。ということは、きものマーケットでのシェアは既に1%を越しています。リサイクルきものでは10%を超えています。ということはこの10年間でこれだけの成果が生まれたということは、次の10年で4億点のうち100万点くらいの着物を預かることは決して不可能ではないと思っています。これからは売るだけではどの商売においても、「買うてくれ」だけではうまくいかないのではないでしょうか。
最後、レジメに沿って「世界一の着物屋を目指して」という話をします。先程少しお話した中に、ユニクロの柳井さんの話をしました。今から4年ほど前に商業界の会合があり、呼ばれてお話をさせていただきました。5つの分科会があり、私も話をさせてもらいました。5つの分科会が全部集まり、最後の大トリがユニクロの柳井さんのお話でした。私は帰ろうと思っていたら、「最後、柳井さんの話ですから、聴いて行かれませんか?」と言われ、聴きに行きました。その時柳井さんは次のような話をされました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、柳井さんはファーストリテーリングという会社を経営されていますが、もともとは小郡商事という会社をお父さまから引き継がれました。早稲田を卒業してジャスコに行ってお父さまの会社に戻られました。宇部で柳井さんが小郡商事を引き継いだのですが、結構ややこしいのが、宇部―柳井―小郡(宇部―小郡―柳井かな。。。)と町がつながっています。柳井さんが事業を宇部で受け継いだのですが、この柳井さんがこの宇部から初めて広島に出ていく時に、社員を集めて「うちは世界一のカジュアルウェア企業になる」と若い柳井さんが言われたそうです。当然社員はお父さまの代から来た社員さんですので、全員「何だこの息子は、アホと違うか」と失笑したそうです。柳井さんはあるとき、「自分は世界一のカジュアルウェア企業になるとあの時決めた。でもあの時自分がこう決めたことが、今日まだまだ世界一には程遠いけれども、日本一のカジュアルウェア企業になるところまではたどり着けた」と会合で言っておられました。これは、広島に出ていった後ではなく、宇部から広島に出る時です。宇部では一番であったかもしれませんが、全く無名の時代に「世界第一のカジュアルウェア企業になる」と決められたそうです。私はその話を聞いて非常に感銘を受けました。「あ、そうか、では私も同じように決めよう」と思い、たんす屋を世界一のきもの屋にすると決めました。良く考えると、柳井さんと比較してとんでもないメリットが私にはありました。何かというと、日本一のきもの屋になった瞬間に同時に世界一がゲットできるのです。良く考えてみると遥かに優位なポジションにいるということに気が付きました。当然、今現在まだまだ世界一どころか、日本一にも遠い状況にあります。しかし、「For the customer」=お客様の為になることを、一生懸命考えて、一生懸命邁進したら、近い将来そういう日が来るのではないかと思っています。
今現在日本中に50店舗以上のチェーン展開をしている着物のチェーンが約15社あります。100店舗以上になるとわずか3~4社になります。15社が50店以上のチェーン展開をしています。ただ、この中でよく考えたら、経営者の中で自らこのビジネスを創業したという人がもう誰もいません。経営トップの中で。当然先程の矢島孝敏社長も、今現在百数十店舗のきものチェーンを経営される、きもの業界のリーダーですが、この百数十店舗を作ったのは、お父さまの矢島榮二さんです。さが美さんも創業されたのは石田善一さんという創業者でご存命ではいらっしゃいますが、とっくに引退されて会社にはおられません。その娘婿さんの石田敏彦さんも引退をされた、現在は小野山さんというサラリーマン社長が経営されています。今現在一番利益を出している、京都きもの友禅という一部上場の会社も、今の社長は幹事証券会社から来た社長さんです。創業の川端さんと、株式をファンドに売却されて、ご存命ではあられますが経営には全くタッチされていません。全く会社と関係ありません。現在50店舗以上のチェーンを経営されている会社の中で、自ら立ち上げた人間は誰もいなくなりました。
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私は遥か、遥か遅れてきて商いをやっている者です。もっと言うならば、最初は小売ではなく問屋でした。問屋業と小売業というのは、やってみて解りましたが、全く異なります。着物を扱っているから出来るだろうと思っていましたが、全く違います。例えるならば問屋業は狩猟民族です。小売業は農耕民族です。いうならば私どもは槍か何かをもって馬にまたがって、肥沃な獲物がいるところに行き狩りをしてくるものです。平たく言えば、良く売れて儲かる小売屋さんに行って、物を納めてくるといった商売を延々とやってきました。しかし小売業は違います。小売業はまさしく農耕業です。同じ場所にいて、草をむしって水をやって、肥料をやって、種をまいて・・・という非常に地味な毎日の繰り返しの中で、初めて収穫があります。ですから、問屋業と小売業というのは同じ商材を扱っていますが似て非なるものです。そのような中で、はるか遅れてやってきたのですが、50店舗以上のチェーンを経営する15社の中で私自身が唯一創業者でいるということが、ことによるとここから先10年きもの市場のリーディングカンパニーになる為のポールポジションにいるのかもしれないと思っています。
もうひとつの要素はフランチャイズです。今現在、きもの業界で真にフランチャイズの本質を理解されている方は誰もいないと私は確信しています。私は創業当初からフランチャイズを始めました。それは先程の矢島社長から、やまとの隣に私どもが店を出した時に、うちの加盟店になりたいということで、最初は頼まれてフランチャイズを始めました。たまたま、もともとあった本社を移転して、現在も登記先は日本橋人形町ですが、土地の安い墨田区に移転し、人形町をセブンイレブンに貸しました。このときにセブンイレブンの本社の方にセブンイレブンが行っているフランチャイズの本質を聞いて、私どもの仕組みも変えました。私どもが強力に進めようとしているのが、個人オーナーを開拓して、一件一件の直営をフランチャイズに変えていくというやり方です。良く解ったのが、私どもの理念に共感を持てる個人オーナーさんとタッグを組んだ時に、ものすごい大きな成果があり、この成果を本部と加盟店で分け合えるということでした。私ども本部の使命は2つあります。時流の変化に伴って、お客様の変化に伴って常にビジネスモデルを変え続けるという仕事と、私どもの理念に共感を持ってくれる加盟店を開拓すること、この2つが本部の使命です。そして加盟店さんの使命は365日、24時間お店にいて、スタッフとお客様と商材という3つのファクターをマネージメントして生産性を最大に高めるというのが加盟店さんのミッションです。この2つがかみ合った時に、著しく生産性が上がり、この上がった生産性を本部と加盟店さんで分け合えることで新たな市場が生まれていくということを実感しました。先程言いましたように、次の10年でやっていくことの3つ目が、私どもと理念を共有できる加盟店さんの開拓という仕事だと思っております。
お約束の4時が近づいてまいりました。大変つたない話でしたが、2時間にわたってご静聴いただき大変ありがとうございました。以上で終了いたします。
○司会
中村先生ありがとうございました。折角の機会ですから、どなたかご質問があれば受け付けたいと思います。挙手をお願いします。よろしいですか?どなたか。
○質問
貴重なお話ありがとうございました。楽しく聞かせていただきました。先程より伺っていると、売るだけでなく顧客の方に関心を持っていただくとか、例えば預かっている着物に合わせて帯を選ぶなど、かなりきめ細やかな対応をすることが核心のように感じました。実際に接客をされる方やフランチャイズの店長さんも含めて、どのような指導をされていらっしゃるのでしょうか。
○中村
おっしゃる通り、社員教育というのが一番だと思っています。私どもはたんす屋塾というのを毎週やっております。ちなみに、私が塾長をやっています。今現在のたんす屋塾は基本的に店長を大体5名ずつくらい集めて行っております。自分は徹底して理念教育を行います。理念教育とは、徹底して会社の企業理念、経営理念をお話し、そしてお客様とどういう関係を築きたいかという理念のお話をします。たんす屋のスタッフ手帳というものがあり、その手帳を全社員に配りますが、この手帳をテキストと思ってその店長版たんす屋塾を行います。私が受け持つのは理念教育になります。あと、商品部と営業部と管理部が3部で商品知識や販売テクニックや管理のことをやっていきます。その店長にお店の中で、言うならばたんす屋塾の塾長になってもらい、店長にスタッフ教育を委ねていきます。当然この3年間で新入社員も40名採用しておりますので、新入社員研修や月に1回入ってこられたパートの方を集めての新人研修があります。基本的にはOJTが中心になりますので、私どもが店長を教育する、それは理念部分と知識・スキル部分で教育し、そしてその店長が店舗で塾長になって、スタッフ教育するということを今行っています。
○質問者
理念が大事ということが今日のお話でよく解りました。ありがとうございました。
添付資料(印刷用にご利用ください)
- 20090916report.pdf (2.1 MB)
- 20090916resume.pdf (32.8 KB)
講師:中村健一(なかむら けんいち)
東京山喜株式会社 代表取締役社長
昭和29年京都市生まれ。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校留学、慶応義塾大学経済学部卒業後、東京山喜株式会社に入社。平成11年リサイクルきもの「たんす屋」事業を立ち上げる。平成13年第11回ニュービジネス大賞優秀賞を受賞。平成18年に商業界より「たんす屋でござる」を出版。- 日時・場所
2009年9月16日(水)
14:00~16:00福岡商工会議所502号室
博多区博多駅前2-9-28
TEL 092-441-2161















